肺高血圧症の完治を目指すブログ

肺高血圧症完治に向けて日々奮闘しています。少しでも有益な情報をお届けできるように頑張ります。

たっつんの病歴について~肺高血圧症発症から、完治を目指す現在のことまで~

こんにちは。
 
「肺高血圧症の完治を目指すブログ」管理人のたっつんです。
 
今日は僕が肺高血圧症になってからの病状や治療の経過について書いてみます。
 
 

 

予兆

 
子供のころから走ること、とくに長距離走が苦手でした。
 
体育の授業で校庭を5周するというときも、1周もすると息が切れてしまって、いつもビリ争い。
 
ただ単純に体力がないだけだと思っていたのですが、中学で野球部に入って毎日のように走り込みをしても一向に走れるようにならないのでおかしいなぁとは思っていました。
 
ただ、短距離はそこまで苦手ではなく、筋力がつくにつれてタイムはどんどん早くなっていきました。全力で走るとたとえそれが50メートルほどだとしても激しく息切れをしてしまいましたが。
 
そして僕が肺高血圧だと診断される2年ほど前、中学1年のときの学校の健康診断では、心電図で雑音があったようです。
 
そのときは「心配するほどではない」と言われて放置していたのですが、今思うともしかしたらあれは肺高血圧症の影響だったのかもしれません。
 
今更後悔とかは全くないのですが、少しでも異常があったら安心するためにもしっかり検査することが必要なんだなと思っています。
 

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発症

 
心臓の雑音があると言われてから2年。中学3年の夏休み明けでした。
 
その半年ほど前から時々胸の痛みがあって、なんかおかしいなぁとは思っていたのですが、あまり大事だとは思っていませんでした。
 
夏休みに入ってその頻度が増えてきたので、両親に相談して一度検査することに。
 
この辺りの過程はハッキリとは覚えていないのですが、横浜の大学病院で右心カテーテル検査を行ったところ、「原発性肺高血圧症(当時の病名)」「心房中隔欠損症」と診断されました。
 
 

中学・高校時代

 
肺高血圧だと分かったのが中学3年生の秋のことでしたので、そこからは病気と付き合いながらの学生生活を送ることになりました。
 
行っていた治療は経口薬のみです。
 
そこからしばらくは色々なことのペースを落としながらの生活が続きました。
 
僕は運良く(?)中高一貫の学校に通っていたため、高校受験がなかったのは助かりました。
 
病気になってすぐにプレッシャーのかかる受験勉強というのは負担が大きかったでしょうから。
 
中高の間の体育の授業はほとんど見学でした。
 
僕の場合、日常生活を送るくらいならそんなに息切れを起こしたりしなかったので、サッカーの授業でゆるーくリフティングをやったり、審判をやったり、ボール出しをしたり、卓球では温泉卓球みたいにゆるくラリーをするとか、あとはレポートを提出して単位を取得しました。
 
元々野球部で体育の先生とは仲が良かったので、うまくコミュニケーションが取れていました。
 
当然部活もできなくなっていましたけどね。この辺はそのうち書くかもしれませんが、理解のある監督でしたので、高校では野球部でマネージャーをしていました。
 
それ以外の学校生活だと、当然(?)欠席は増えました。それまでみたいに多少体調悪くても頑張っていくわけにもいきませんので。
 
それから、僕の場合は主に朝に薬の副作用が強く出るため、学校を遅刻することも増えました。
 
一部の人にサボリかよみたいに言われることもありましたが、仲の良かった友人は理解のある人たちばかりだったので、病気のことで嫌な想いをするということはあまりありませんでした。
 
高校2年のときに出欠がギリギリ足りなくて、進級できるか危うい…なんてこともあったのですが、職員会議で進級させるということで話がまとまったようでした。
 
高校3年では授業も部活もほどほどのペースで最後まで続け、部活を引退した夏以降は受験勉強に励みました。
 
受験勉強のときはなるべく朝型で生活することをこころがけ、体調が悪いときは無理することなく、秋以降にペースをつかんだことで無事第一志望の大学に合格しました。
 
 

大学時代

 
元々は通うつもりで受験したのですが、受験のときに往復4時間かかってとても疲れたので、親と話して一人暮らしをすることにしました。
 
母親は「一人暮らしなんてとんでもない」くらいに思ってたらしいのですが、自分の意志を通すことができました。
 
しかし大学生活は体力的にも精神的にもしんどいことが多かったです。
 
高校までと違って、周囲の理解がない。
 
体調が悪くて1限の授業を休むとすぐ「サボり」だなんだって。まぁ大学生=サボりみたいなとこはあるので仕方ないですかね。
 
ただ、そのイメージが定着してしまうと休んだ授業のノートやプリントをもらいにくくなっていきます。
 
理解してくれる友人もいたことはいたかと思いますが、ほとんどはそうではありませんでした。
 
二人で会っているときは理解を示してくれても、他の人たちといるときにはサボりだなんだって口にしてるのを知ってショックを受けたりもしました。
 
「〇くんは病気に負けすぎてる」
 
なんて言われたりもしました。
 
人数の少ない学科だったので、噂もすぐ広まるし、高校時代は学校のトップだった人も少なくない大学だったので、やたらとみんなプライドが高く、変に干渉してきてやりづらかったです。
 
それでも仲の良い友達もできて、なんとか4年で卒業することができました。
 
この間も月に一度の通院、年に一度の右心カテーテル検査を続けていましたが、概ね落ち着いていたようです。
 
 

就職

 
大学卒業後、しばらくは子供関係の仕事をしていました。
 
しかし体力的に長く続けることは難しそうだったので、公務員試験を受けるため2年で辞めて受験勉強を開始。
 
なんとか1年で受かり、地方公務員として働くことが決まりましたが、就職直前の検査で数値が物凄く悪化していたようで、持続静注療法を受けることが決まりました。
 
このとき「このままでは40歳まで生きられない」と言われたことはとてもショックでした。
 
 

持続静注療法導入

 
就職1年目の9月、入院→手術でヒックマンカテーテルの挿入手術を受けました。今はカテーテルによる手技?で比較的簡単にできるようですが、当時は全身麻酔による手術が必要でした。
 
ここから生活が一変しました。
 
・とにかく副作用がつらい。
 
血管を開く薬なので、全身(特に顔や手足など毛細血管が多いところ)が赤くなる、頭痛、吐き気、倦怠感、めまいetc最初のうちは薬の効果よりも明らかに副作用の方が辛かったです。
 
・そして管理も大変でした。
 
見たことがない人には想像がつきづらいかもしれませんが、身体に異物を入れ、それが外とつながっているので毎日の消毒が必要になります。
 
・湯舟にも胸から下しかつかれません。
 
まぁ湯舟なんか入ると副作用が出て辛くなるので、冬場でも入らないことにしていますが。
 
・毎日薬を調製するのがとてもめんどくさいです。
 
薬というのが、説明すると長くなるのでまた別の記事で詳しく書きますが、とにかく毎日自分で点滴の薬を準備します。
 
人にもよりますが、この作業に15~40分くらいとられるのでこれがとても大きな負担となります。
 
体調が悪かろうが、外出していて疲れていようが、旅行していようが、これだけは毎日必ずやらなければなりません。
 
自分のようなめんどくさがりの人間には大変な負担です。
 
 

感染症にかかって2度の入院

 
身体に異物を入れていますので、感染症のリスクがあります。
 
疲れたりして免疫力が下がると、急にかかったりします。
 
僕は2014年に2回かかって大変な思いをしました。
 
これは放っておくと本当に命に関わるので、すぐに治療しなければなりません。
 
軽度なら経口薬の抗生物質で済みますが、少しでも悪ければ入院して抗生物質の点滴を受けます。
 
これでも治らなければ、ヒックマンカテーテルを一度抜いて、新しいヒックマンカテーテルを入れることになります。
 
これも大変な負担ですので、感染症には細心の注意を払わなければなりません。
 
持続静注療法をしている人が、風邪などの症状がないのに急に高熱が出たりしたらすぐに主治医に相談しましょう。
 
すぐに治ったとしても、必ず相談してください。
 
 

心臓の手術

 
そんなこんなで、持続静注療法を開始してから3年で、肺動脈圧などの数値が大分改善してきました。
 
そして、遺伝子検査やらの最新の研究の結果、どうやら僕の場合は上記の「心房中隔欠損症」が原因となっているようだということで、心臓の手術をすることになりました。
 
しかしここでも外科手術にするのか、カテーテルによる治療にするかで色々と検査をして、僕の場合は金属アレルギーのためにカテーテルでの治療ができないということになり、外科手術を受けることになりました。
(素人的には手術と治療とで何が違うのかはわかりませんが…どっちも手術だろって感じです。当然外科手術の方が大きいのですが。)
 
なんやかんやで外科手術を受け、心房中隔欠損は完治しました。
 
 

現在

 
手術からしばらくは体調も安定せず、つらい日々が続きましたが、1年経った今は比較的落ち着いています。
 
手術直後に、以前から休職していた職場と辞める辞めないで揉めたりしたので、精神的にもしんどかったのもありますが。
 
今は自宅でできる仕事を少しずつ、自分のペースでやっています。
 
収入は正直全然少ないですが、貯金と障害年金でどうにかしている状況です。
 
現在は家族のサポートが受けられるので、無理してでも働かなければならない…という状況にはならずに済んでいます。
 
とは言え、いつまでもこのままでいるわけにはいきませんので、少しずつ自分で収入を増やす道を模索しています。
 
ちなみに、持続静注療法がうまくマッチしてくれたこと、心臓が治ったことにより、現在は肺高血圧症の方も良い方向に向かっています。
 
「40歳まで生きられない」なんて言われたのは衝撃的でしたが、今はうまくいけば寛解、完治もあるかもというところまで来ています。
 
 

まとめ

 
発症前から現在までノンストップでずらーーーっと書いてしまったので大分長文になってしまいましたね。
 
途中少し話が逸れたところもありますが、大体は病気に関わる話です。
 
今後、これらを内容を一つ一つ掘り下げて、その時その時自分が取った対策についても書いていきたいと思います。
 
公的な支援や、障害年金、手術に向けてなど、知ってるのと知らないのとでは大きく違うと思いますので。
 
それでは、今回はこの辺で。
 

haikouketsuatsu.hatenablog.com

こちらの記事で僕がブログを始めた理由などについて書いています。よかったらお時間のあるときに読んでいただけると幸いです。

 

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